議員になるまで、そして今
福祉の優しさを、政治の力に。
1.私の原点
検事だった私の祖父は、戦争によって親や家族を失った戦災孤児を救済するため、児童養護施設を設立しました。
子どもの頃、祖父が設立した施設で、夏休みなどに子どもたちと一緒に遊んだ記憶があります。
楽しい時間を過ごした帰り道、いつも心に残ったことがありました。
「あの子たちには帰る家庭がないんだ、だけれども、福祉施設の職員や地域の皆さんが支えているからこそ、あの笑顔があるんだ」
この経験が、私の福祉への思いの原点となりました。
大学では哲学と倫理を学び、人間の生き方や幸せについて考え続けました。
卒業後は民間企業に就職しましたが、幼い頃から見てきた福祉の風景が、心から離れることはありませんでした。
やがて、福祉の道に進むことこそ、自分に与えられた天命なのではないか。そう思うよになりました。
【イラスト① 少年時代・祖父と児童養護施設の子どもたち】
2.福祉の現場で知った、人の幸せ
私が関わってきたのは、児童養護施設だけではありません。遠い
70人の高齢者が暮らす特別養護老人ホームには、70のいろ、それぞれの人生がありました。
身寄りのない方が亡くなり、火葬場へお骨を拾いに行ったこともあります。
「この方の人生の最期に、自分が寄り添っている」
その責任とともに、ここに自分がいる意味を感じました。
また、心を閉ざしていた方が、日々の交流の中で少しずつ笑顔を取り戻していく姿にも出会いました。
人は、人生の最期まで変わることができる。
そして、誰かに寄り添うことには、大きな意味がある。
福祉とは、人が人生の最期に出会う優しさであるべきだ。
そう実感した日々でした。
【イラスト② 特別養護老人ホーム・福祉現場】
3.福祉から政治へ
施設長として現場を預かる中で、2000年、介護保険制度が始まり、福祉の現場は大きく変わりました。
制度の変更によって、施設も利用者も翻弄される。
現場で懸命に努力しても、制度そのものを変えなければ解決できない問題がある。
そのとき、強く感じたのです。
「福祉を形づくっているのは、政治なのだ」
現場の努力だけでは届かないものがある。
制度をつくる側に関わらなければ、変えられないことがある。
そう考えるようになりました。
政治は未知の世界でした。不安もありました。
それでも、現場で感じた課題を解決するため、政治の世界に飛び込む決意をしました。
【イラスト③ 福祉施設長時代・政治への挑戦】
4.43票差の落選、そして初当選
2003年、初めて港区議会議員選挙に挑戦しました。
結果は、わずか43票差で落選。
支えてくれた母や家族、そして応援してくださった多くの方々への申し訳なさが胸に残りました。
政治という、まったく見知らぬ世界への挑戦でした。
だからこそ、悔しさ以上に、自分を信じて支えてくれた方々への思いが残りました。
それでも、地域での活動を続け、2007年、初当選を果たしました。
当選が確定した夜、私は真っ暗な芝公園にある港区議会の前に立っていました。
「これから、自分は区民のためにここで働くんだ」
喜びよりも、これから背負う責任の重さを感じていたことを、今でも鮮明に覚えています。
【イラスト④ 初挑戦・初当選当時】
5.そして、今
福祉を形づくっているのは政治だ。
そう考えて政治の世界に入りました。
あれから約20年。
今、私がたどり着いた思いは、少し違います。
「政治こそが、福祉そのものなのだ」
政治とは、人々の暮らしを支え、幸せを守るためにあるもの。
だからこそ、政治には福祉の優しさがなければならない。
幸司。
私の名前には、「幸せ」という字が使われています。
その名に込められた思いを胸に、生まれ育った港区で、すべての人が幸せを実感できるまちをつくりたい。
そして、港区民すべての人の幸せを支える司令塔になりたい。
福祉現場が原点。人に優しい港区づくり。
これが、私の変わらぬ信念です。
【イラスト⑤ 現在の議員活動・地域活動】
















